鶴ヶ城見学

先日会津へ行き、久々に鶴ヶ城を見てきました。会津へは何度か足を運んでいるのに、鶴ヶ城の記憶がなく、新鮮な気持ちで見学できました。
鶴ヶ城(若松城)の歴史は、1384年に葦名直盛が東黒川館を造ったところから始まるとされています。1589年伊達政宗が葦名氏を破り一時入城したものの、秀吉の命ですぐ配置換えとなり、1590年に蒲生氏郷が入城。1593年に七層の天守閣が完成し、鶴ヶ城と命名されたのだそうです。その後、上杉家、蒲生家、加藤家、保科家(松平家)と当主が変わります。1611年には地震により倒壊し、五層の天守閣に組みなおされました。1643年、三代将軍家光の弟である保科正之が入城。1696年に保科から松平に改名し、幕末に至ります。
鶴ヶ城と言えば、戊辰戦争。1868年、佐幕派が約一ヶ月の籠城戦を行いましたが、ついに開城となります。この戦いでひどく損傷した鶴ヶ城は、1874年に取り壊されます。そして、1965年にコンクリート造りで復元されたのでした。
お城の中は展示室になっており、最上階からは会津の街並みや飯盛山を眺めることができます、が、飯盛山は雨に霞んでおりました。
展示品の中には松平容保公の写真や白虎隊の少年達の肖像画もありました。彼らがどのような思いで戊辰戦争に臨んだのかと想像して、一人目頭を熱くしました。
大河ドラマ「篤姫」の中で西郷どんは「この国を変えるには徳川を倒すしかない!」と熱く語っていますが、異国の敵に備えなければいけない時期に、どうして国内で戦争をしなければならなかったのか、やっぱりよく分からないなぁと思ったのでした。
冷たい雨が降っていて城内をゆっくり散策する気分になれず、茶室「麟閣」などさっと通り過ぎてしまいました。季節のいい時に、また来たいものです。








Comments
鶴ヶ城の七層天守は惜しいことをしました。残っていればもちろん国宝間違いなしです。来年の大河ドラマでは間違いなくクライマックスでの舞台となりますから、楽しみです。
Posted by: 悪七兵衛景清 | December 24, 2008 at 10:32 PM
>悪七兵衛景清さま
七層は迫力があるでしょうね。
さらに最初は壁の色が黒だったのだとか?
黒いお城が見たかったと思いました。
Posted by: ヒロ子 | December 24, 2008 at 10:38 PM